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2011年4月25日 (月)

テーブルの改造

旅の写真の整理に着手したが、同じアングルから撮ったものが多く、露出やピントなどを確認しながらの作業には時間がかかる。
ファインダーから見た景色は素晴らしかったのに、拡大画面で見直すと「これ!」といった画像は中々見つからないものである。
そのうち目は霞んでくるは肩は凝るはで、午後から気分転換に別の仕事に取り組んだ。

今回の車旅で一つ改善したほうが良いと感じたのが「テーブルの広さ」であった。カセット・コンロを使うと二人分の食べ物を置くとテーブルが狭くなる。そこでスライドレールを利用して引き出し式の補助テーブルを取り付けた。
中々の出来栄えで自己満足している。
ためしに又どこかへ行きたくなってきた。

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2011年4月24日 (日)

一夜明けて・・・旅の印象

久しぶりに我が家の床での目覚めを迎えた。
外は予想に反して快晴の青空。
出発の日にほころび始めた桜やモクレンは、数日来の寒さのおかげで長持ちしたらしく、満開を少し過ぎた状態で帰りを待っていてくれた。

旅の前半は、子供たちや孫たちと久しぶりに会って、お互いの近況を話し合えた。
天気にも恵まれて、どこの行楽地でも素晴らしい景色を楽しめた。
後半は、富士山撮影を主目的に富士五湖巡りをした。
残念ながら青空は消え、富士の雄姿を期待通りにはカメラに収める事は出来なかった。やはり秋から冬でないと「外れ」る事が多いのだろう。最後の日まで雨に会わなかったのは幸運だったと思う。

この時期、「仙台ナンバー」の車は注目の的。
多くの方が震災の見舞いとねぎらいの言葉を掛けてくださった。身内が被災地に居ると言う人とも数人出会った。中には帽子を脱いで「どうか気をつけて頑張ってください」と最敬礼してくださったカメラマンも居られた。
「本当に全国の方が温かく見守ってくれているのだな~」と実感した特別な旅となった。

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2011年4月22日 (金)

「五湖」は花見時

昨夜は20台ほどの車があり7~8台はトラックだったが、騒音に悩まされる事なく熟睡できた。お陰で今朝はすっきりと目覚めた。

道の駅から富士山が良く見えた。青空でないのが残念だが、思ったよりいい天気で文句は言えない。

9時に出発して西湖・河口湖・忍野八海・山中湖・御殿場アウトレットと回り、須走りまで取って返して出来立てほやほやの「道の駅すばしり」(4月14日オープンしたばかり)に泊まる事にした。

富士山麓は桜の見ごろで、富士・桜・湖の組み合わせが何とも言えない。願わくば「あ・お・ぞ・ら」が・・・。

いよいよ今回の旅も終わりを向かえ、明日は天気が持てば富士山五合目まで足を延ばし、その後は一路我が家を目指す事にする。多分途中どこかでもう一泊するだろう。

1,000円高速の使えるうちに帰宅予定である。

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2011年4月21日 (木)

「下調べ」富士五湖のたび

8時半に富士川SAを発って富士に向かった。

昨夜はおびただしい数のトラックに囲まれて、アイドリングの音と排ガスに悩まされ、寝不足でのハンドル操作になった。

白糸の滝・田貫湖・朝霧高原・本栖湖・西湖を巡り、道の駅なるさわに投宿。すぐそばに露天風呂正面に大きな富士が眺められる入浴施設があるが、「はにかみ富士」は僅かしか顔を見せなかった。
このところ曇り空で、富士は時折顔を出す程度。明日も期待できそうにない。
今回は「撮影スポット下見の旅」と諦めて、いつか改めて冬場に挑戦する事としよう。

写真①白糸の滝 ②田貫湖の満開桜 ③西湖からの富士

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2011年4月20日 (水)

富士は「はにかみ屋」

富士川SAで、雲一つない夜明けの富士を見た。
この時期、朝焼けは望めず、薄く朝もやが漂っていた。

今日は日本平・三保の松原・サッタ峠と富士を追いかけて回った。

「日本平」は名前負け? 想像は見事に裏切られた。

「三保の松原」は思いの外良かった。 羽衣の松を初め立派な古木も多く、松林を抜ける海風は心地よかった。 雲間から富士もちょっぴり顔を見せてくれた。

「サッタ峠」は一度行ってみたかった所である。
あいにく富士は雲に隠れて顔を見せなかったが、夕暮れ迫る峠からの「交通の要所」の眺めは格別だった。
次回は冬に訪れて、富士をバックにした写真をモノにしたい。

明日からは富士五湖方面に行く予定にしているが、お天気があまり思わしくないようだ。

それにしても「富士」は中々微笑んでくれない。

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2011年4月19日 (火)

思いの外良かった寸又峡

道の駅川根温泉でSL撮影をしようと思ったが、通過時刻が午後のため時間つぶしを兼ねて寸又峡まで足を延ばした。
細い山道を含め、約1時間大井川を上流へ。 温泉地から徒歩で片道30分ほど更に奥地へウォーキング。 新緑と残り桜と爽やかな風が迎えてくれた。帰りに「美人作りの湯」という露天風呂を浴びて、川根に戻った。

寸又峡でゆっくりしたので3時40分のSLを撮影した。

その後大井川を下り、島田市の蓬莱橋(世界一長い木造橋)を見て、富士川SAに投宿し明日に備える。 明日からは富士山三昧となりそうだ。

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2011年4月18日 (月)

盛り沢山な一日

息子を送り出して、しばらく休憩して9時半に出発。
浜岡砂丘・御前崎灯台・御前崎漁港「なぶら市場」・牧の原茶畑・掛川城と巡って今宵の宿「道の駅川根温泉」に5時過ぎに到着した。

「なぶら市場」で食べたカツオづけ丼(500円)は絶品だった。
牧の原始めこの辺り一帯はお茶の産地だけあって、至る所に茶畑が広がり、美瑛の丘程ではないものの、パッチワーク状態で見事なものであった。
「道の駅川根温泉」は、大井川上流の温泉付きの駅で、すぐ裏に大井川鉄道の鉄橋がある。毎日昼過ぎにSLが通るらしいので、明日は撮影に挑戦しようかと思っている。

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2011年4月17日 (日)

最終目的地へ到着

快晴の爽やかな朝。
孫君たちとも別れ、10時に千葉を出発した。
川崎の次男と昼食を共にし、一路東名高速を菊川へ。
途中、富士川SAでゆっくりと休憩して午後5時半に三男宅に到着。
近くの磯料理屋で新鮮な魚料理を満喫。久しぶりに「贅沢料理」に舌鼓を打った。

明日からはのんびりと物見遊山をしながら家路へと向かう事にする。
何とか天気がもってくれるといいのだが。

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2011年4月16日 (土)

関東は初夏

夕べの寝心地はマズマズ。 少し背中が痛かったので、ケチらずに低反発マットレスにすれば良かったか(?)とチョッと反省している。 慣れれば何とかなるだろう(と諦め・・・)。

昨夜は暗くて何も見えなかったが、朝起きたら周りはすっかり初夏模様。桜は花吹雪、新緑は目に鮮やかで色とりどりの花が咲き乱れている。
「関越トンネル」の向こうの冬景色はなんだったのか。

10時過ぎに千葉の子供のところに到着。元気な孫君・孫ちゃんの顔を見て、ジジ・ババはよれよれ。早速おもちゃさんへ案内され、ご希望の品をプレゼント。多分この瞬間がジジ・ババにとって一番幸せな瞬間なのだろう。

明日は昼前に千葉を発ち、川崎に立ち寄って静岡県御前崎市まで走る予定である。
天気は良いほうに外れたようで、今日はまさに初夏の陽気であった。

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2011年4月15日 (金)

ハイエースでの初車中泊

余震のことが気になりつつも、思い切って計画を実行した。

朝9時40分に家を出て、山形・新潟を経由して関越道「高坂SA」に午後7時10分に到着。 今宵の宿とした。

途中山形の飯豊・小国辺りでいまだに残る残雪を見たと思ったら、新潟の魚沼・十日町辺りはすっかり雪景色で驚いた。

今宵の寝心地や如何。
楽しみやら心配やら。

明日の日記で報告します。

写真①「道の駅白い森おぐに」にて ②SA越後川口から望む信濃川 ③魚沼PAからの雪山

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2011年4月14日 (木)

一気に ”はる~~~!”

このところの陽気で我が家の周りも一気に春真っ盛りとなった。

モクレンは見ごろを迎え、公園の桜もほころび始めた。柳の芽も大きくなり、明るく優しい黄緑色を風になびかせている。

楽天も初戦で嶋の劇的なホームラン、第二戦では主砲山崎のホームランと連勝スタート。(この勢いで今日も・・・)

被災地にも明るいニュースが聞かれるようになってきた。

明日から一週間ほど掛けて、千葉・川崎・御前崎と、子供や孫たちに元気な顔を見せ、また元気をもらいに車旅を予定している。大きな余震が発生し、旅がキャンセルにならない事を祈るのみである。

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2011年4月12日 (火)

震災がくれたもの

魔の時から一ヶ月が過ぎた。

依然として余震が続き心の休まる事はない。

TVや新聞報道を見るにつけ、災害の爪痕の深さに今更ながら驚かされている。

一方、今回の震災を通じて、身の回りでは幾つかの気付きや変化が見られた。

あまり普段は会話の無かった町内の人たちが、声を掛け合う姿がしばしば見受けられるようになった。 これを機会に御近所付合いが一層深まる事を念願する。

小生も、民生委員経験者として御近所の安否確認や老夫婦家庭への水や食料をおすそ分けするなど、及ばずながら手を差し伸べた。

我が家にとって嬉しかったのは、7年ほど前に近所に引っ越してきた一家の子供たちとの交流が復活した事である。

当時小1、幼稚園年小、ヨチヨチ歩きだった三兄弟は、この春中2、小6、小3になった。 小さい頃はしょっちゅう我が家に遊びに来ていたが、近年は成長と共にほとんど顔を見せてくれる事は無かった。 それが・・・である、地震の翌朝早く、三男君が「大丈夫でしたか~」と声をかけに来てくれた。 暫くして「これ、どーぞ」とイチゴの差し入れをしてくれた。

以来、二男・三男君が時々遊びに来てくれている。 昨日は三男君が自作の人形飾り(まつかさぼーや?)を持って来てくれた。

いよいよ新学期も始まったので足も遠のくだろうが、常々三兄弟の成長ぶりを眺めている身としてはこれからも忘れずにいて欲しいものである。

今回も三兄弟一家からは有形無形の支援を頂き、大いに心の支えとなってもらっている。

御近所付合いの意味・意義を再確認するとともに、その大切さを実感したひと月であった。

我が家でも椿が満開、モクレンも蕾を膨らませ一両日中には花を咲かせそうである。 プロ野球も今日開幕する。 平穏な春を楽しみたいものである。

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2011年4月 8日 (金)

条件反射?

地震もそろそろ終息かと思っていたら、昨夜強烈な余震があった。床に就こうかと思っていたときのことである。

今回は時間も短かったためか、是と言った被害を受けずに済んだ。
停電も今朝の7時半ごろ回復し、ライフラインは確保出来ている。

午後から所用で出かける事になっていたのでガソリンの補充にとスタンドに向かったら、かなりの行列が出来ていた。スタンドは停電後の点検中で開店準備中。
別のスタンドへと町の様子見を兼ねて少し走ったら、スーパーの前には本震の時同様長蛇の列が。

今回は、前回とは違って物流ルートは確保されており、物資不足はさほど心配無いはずで、ガソリンも潤沢に届いているはずである。何もあわてる事はない。

にも拘らず、スワ地震! それ行列だ!
分からぬではないが、条件反射的に「我先に!」と行列に並ぶのだろうか。

午後、出がけの道すがら、並ぶことなく満タンに出来たし、帰り道にスーパーで普通に買い物も出来た。

とにかく早く地震も原発も沈静化して平常に戻ってほしい。

御心配頂いた方々には心より感謝申し上げる次第です。

2011年4月 7日 (木)

再開、いつの日ぞ

明日で地震発生から丸4週間になる。

その瞬間、太極拳を習っていたスポーツクラブはどうなっているか気になって様子を見に行った。

進入禁止のロープが張られ、「地震被災により休業中」の貼り紙がされているが、辺りは被災当時のままで、崩れ落ちたタイル等の瓦礫はそのままの状態で放置されている。

壁を隔てたスケートリンクも然り。
このリンクは、本田武司、荒川静香、羽入弓弦と言った日本を代表するスケーターを生み出している。

この建物には大型スーパーやドラッグストアーなどが入っており、しかるべき検査機関が安全性の確認をしない限り再開する事は難しいのだろう。

写真教室に通っている文化センターは、建物の傷みがひどいという事で早々と閉鎖を決定した。
そこを活動の拠点に使っていた写真クラブも存亡の危機に直面している。明後日、集まれるだけのメンバーで善後策を話し合う事にしている。

元の生活が戻るのは大分先の事のようだ。

写真①地震で飛び出して、身を寄せ合って収まるのを待った駐車場。②放置された傷跡。③スポーツクラブとスケートリンク

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2011年4月 5日 (火)

春が来た

ライフラインが復旧しホッとした為か、急に体から力が抜けたような虚脱感を感じている。

今日は快晴で気温も15度まであがった。
地震以後初めてカメラを持ち出して気分転換にあちこち車を走らせた。
瓦が崩れた家も散見されるものの、その他はいつもと変わらぬのどかな風景が広がっていた。
桜の季節までには今一歩であるが、梅の花が青空を背景に各地で咲き誇っていた。
仙台城址(青葉城址)の展望台は、石垣の崩れた所があるらしく立ち入り禁止となっていた。人影も全くなかった。伊達政宗はどんな気持ちで城下を眺めているのだろうか。

津波被災地にも早く春が訪れて欲しいものである。

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2011年4月 3日 (日)

腹八分目

今日の昼、ガスが回復し全てのライフラインが戻った。
やれやれである。

ガソリンスタンドの行列もほとんど解消され、制限給油も解除されているようだ。

この週末からスーパーやホームセンターも概ね平常営業に戻っている。

内陸部に当たる我が家の周りは日に日に震災前の生活環境が戻っている。

「終戦前」の生まれとはいえ、物心ついてこの方「苦労知らず」で溢れる物資の中で暮らしてきた。しかし今回の震災で始めて電気・水道・ガス・灯油・ガソリン・交通機関・飲み水・食材などあらゆる生活のベースを失うと言う経験をした。

「全てが回復した」事は大変うれしいが、今回の経験を無駄にすることなく、今日からは「全てを元に戻す」のではなく「八割生活・腹八分目」の精神で日々を送ろうと思っている。

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